駅・町情報 |
「国営海の中道海浜公園」の駅口ゲートと併設されているログハウス風の駅舎。建てられたのは1987年であるが、開業は戦前にさかのぼる1935年。国鉄の前身、博多湾汽船だった頃に、臨時停車場として開業。当時は現在の場所ではなく、700m程東の場所、県道59号線と旧県線と交わる場所付近に位置していた。
海の中道海浜公園は1972年、旧日本海軍の飛行場(戦後は米軍基地)を返還されたことにより、1975年より公園として整備開始。野外ステージや玄界灘の展望施設、遊園地やホテル、水族館などの遊戯施設も増やし年々面積を広げ、公園の東端側入り口として、現在の場所に駅舎が付設された。
ホームは単式型の単線、離合設備はなく、普段は隣の西戸崎駅で入れ替えを行っていると思いきや、旧海ノ中道駅を信号所として離合設備を残し、交換はここで行う。香椎線の西戸崎〜香椎のダイヤグラムは昼間は30分ヘッド。ラッシュ時は20分間隔で運転され、20分ヘッド時に中道信号所は利用され、オフピーク時は西戸崎と和白で交換を行う。本数を考慮すると、駅として昇格してもよさそうであるが、何しろ公園とリゾート施設以外は、家一軒もない場所である。地図で見れば一目瞭然だが、まさに“海の中の道”であり、かろうじで細長い陸の上に、砂漠と松林の合間に県道と線路が敷設されているような場所なのである。ちなみに、上記の中道信号所の写真の背景に、コンクリート壁が見える。これはすぐ後ろの砂浜の砂の浸入を防ぐためである。昔は防砂壁など無く、海風酷い嵐の時は、線路が砂で埋まって多々運休になっていたそうな。
<砂漠と松林の直線を行く臨時運用のDC200型 2002年7月 新県道から撮影>
旧海ノ中道駅は、荷物載せ降ろし用のコンクリート坂があり、現在でも僅かながら面影を残している。そのすぐ東にあるのが中道信号所。現在は県道59号線が併走するように走っているが、かつてはやはり砂の影響もあり、南側の博多湾側を避けるように敷かれていた。防砂壁が完成し併走するバイパスが出来たのも、1990年台と最近の話。旧道が閉鎖されたのは2000年に入ってからのこと。旧道閉鎖後は、同国営公園がさらに西へ敷地を延ばしていることから、信号所が格上げされる可能性は、無きにしもあらずと言ったところだろうか。
海ノ中道駅は完全な遊戯・リゾート向けの駅。公園や施設の勤務者やお客を除けば、住人は居ないので閑散期の利用者は皆無。よって基本は無人駅であるが、公園内のプールが営業する夏の時期や、イベント開催時は、香椎駅から駅員が派遣され、改札・窓口業務を行うほどの半端無い盛況振りを見せる。。住所は“福岡市内”ではあるが、離れ小島状態に近い。交通手段も限られるため、ひとたび園内でコンサートでも開催される日は、香椎線に応援列車がやってくる。かつては200型のディーゼルカーが走っていた時代もあり、わざわざ長崎からシーサイドライナーカラーの列車が肩を並べて走ったこともあった。また、香椎〜西戸崎間は15分ヘッドのダイヤを組むことも可能であり、各駅のホームも全て6両編成に対応もしていることから、イベント時の混雑は想定できることだろう。 |
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放送・放送設備 |
スピーカーの設置もなく、ありません。 |
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