駅・町情報 |
福岡県筑紫野市の南東部、国道200号線に沿って、また国道200号線バイパスに挟まれながら、筑前山家駅はある。現在使用されているのは単線単式型のホームのみだが、東側には完全放置状態の廃ホームが残る。2002年にも訪問しているが、その時と状態は変わっておらず、単式化されたのは随分前のようだ。現行ホームは4両分の停車スペースがあるものの、中央1両分のみ嵩上げ工事が施されている。その手前には、今世紀に入り建てられた小型の木造駅舎がある。簡易的な待合所とトイレのみの設備。かつては今の2倍以上の木造駅舎が建っていた。コンクリートの基礎が生々しく残っている。
駅舎の左側には引き込み線が2本もある。ホームとしての基礎も残っているが、恐らくかつての冷水越えに使用した、牽引機関車の留置所とも言えるだろう。駅から北東に約3キロ、今でも現役で使用されている冷水トンネルは、1929年に完成した。筑豊本線はそもそも、明治の初頭に筑豊興業鉄道が筑豊炭田の運炭目的で、若松〜直方間で開業。周囲の炭田採掘を広げると共に、路線も西へ延びていった。ところが次第に、若松港への運び出しにも限界を感じ、西へ貫き、大牟田や佐世保港からの運び出しも考慮された。そして1929年トンネル長3286m・高低差は最大25パーミルの峠越えの超難工事を日本で初めて完成させている。傾斜が厳しいため、長編成を運行する時には機関車の重連が行われており、昨今運転されたJR九州が企画した“リバイバルあかつき”運行時にもDE10が重連された記憶は新しい。また後に、温度差の少ないトンネルだからこそ出来る実験として、ロングレールの敷設も日本で初めて行われている。
そんな歴史の残る筑前山家・筑前内野の両駅は、江戸時代から旧長崎街道の宿場町として栄えてきたが、炭坑の廃止、モータリゼーションの波などから人脈が変わり、いつしか列車は1日数本しかやって来なくなってしまった。駅周辺は人家が多いものの、峠を境に筑紫野市となっており、天神や博多などの都心部へ向かう人は途中駅までバス利用が好まれている。
ホームから駅の駐車場に目をやると、西鉄の市内電車600系と西工いすゞのBU系バス、土佐電気軌道の300系が静態保存されている。
これらの車両は、「北九州線車両保存会」という非営利団体が個人で保存・整備しており、年に何度か内部公開もされているようだ。
ちなみに2002年の訪問時には、621型のみ新カラーにて保存されていた。
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放送・放送設備 |
TOAのホーン型スピーカーが設置されていますが、接近・発車共にありません。
緊急・防災用と思われます。 |
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